荒木村重という人を知る人は少ない。
戦国時代の武将で、池田・伊丹から出世し、後に織田信長の家臣となり活躍する人なのね。
C級呑兵衛からすると「地元の武将」なのね。
後発で家臣になったのに、スピード出世で羽柴秀吉や明智光秀などと同格のポジションに。
軍事的にも経済的にも重要な摂津国を任されるエリートだったわけ。
・・・だったら、有名な人になってるんじゃないの?ってなるわね。普通は。
それが、そうならなかったのは、
信長が秀吉と村重を先鋒に中国地方へ戦に出たときに、村重は、信長と秀吉のいる間、つまり摂津国で連絡路を絶つ形で急遽謀反を翻したから。
秀吉目線で行くと、振り返ったら見方が敵になってて、背後絶たれて孤立状態だから、
「おえおえ!村重何しとんねん!」とショックはショックだったと思うね。
しかも、村重は信長に総攻撃を受け、伊丹有岡城で長期篭城戦にもつれ込んだ挙句、単身城を抜け出し、残った女子供を含め数百の人が犠牲になったことが汚名となり、「悪い人」として後世に語り継がれることになったわけ。
C級呑兵衛は高校時代から、地域史に関心があって荒木村重のことを色々と調べていた。
調べを進める中で、「悪い人」じゃないんじゃないか?
確かに信長目線とか落城の様だけをとらえると悪く見えるんだけど、その経緯や周りを取り巻く環境を紐解いていくと、むしろ「英雄だけが正でそうでないものは悪」という偏った教育の方が問題じゃないの?とさえ思えてくる。謀反を正にする必要はなくても、事実を正確に捉えることは必要なんじゃないかなって思ったわけ。
教養高く、お茶の世界では千利休の高弟「利休七哲」の一人とされていたり、村重の子は浮世絵の祖、岩佐又兵衛だったりする。
そこから、大学時代色んな文献みたり、研究の第一人者、瓦田昇先生にもお会いするなどする中で、
戦国時代に活躍した伊丹氏や荒木氏の末裔の方ともやりとりができるようになった。
村重を肯定的に扱う書籍などもではじめ、
「荒木村重研究会」が発足し、定期的な会合が開催されるまでになった。
研究会発足するかしないかあたりにはその末席にしたんだけど、今はすっかり研究のフィールドから離れちゃってるよなあ。
でも、荒木氏末裔の方からは、その会報誌をいつも送っていただいているし、貴重な書籍だと思う。
コメント
コメント一覧 (5件)
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地元の歴史を地道に研究されているとのことですね。私も池田に住んで40年を過ぎました。井口堂3丁目あたりの小学校を卒業した地元のものです。阪急バスの車庫からいなり山を経て北に、丁字路のお地蔵さんを右に折れて、能勢街道を池田方面に西に進んだところで、いまも生活しております。このブログの内容はは、私の飲み歩いている界隈と重なるところが多く、とても楽しみにしています。また、C級さんとは石橋か池田か、あるいは福島かどこかでお目にかかるかもしれませんね。その節は、どうぞよろしく。
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はじめまして。いつも楽しみにこのブログを拝見させていただいています。地元の歴史を地道に勉強されているとの事。私も池田で過ごして40年を越える地元人です。井口堂3丁目あたりの小学校を卒業し、いまでも阪急バスの車庫から稲荷山を経て、お地蔵さんの丁字路を左に折れて池田方面に進んだ街道沿いで生活しています。C級さんが紹介されている界隈と、私の飲み歩く場所が重なっているところが多く、とても親しみを感じます。「ちりとてちん」のご主人は、小学校の一学年下に在籍しておられたとのことで。C級さん、石橋や池田、あるいは福島や東京、はたまたANAの機内でお目にかかることがあれば、そのときは、いっしょに飲みましょう。呑みましょう。よろしくお願いします。
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能勢街道沿いの池田人さん、はじめまして!
「ちりとてちん」のご主人はC級呑兵衛と同じ小学校卒ですから、能勢街道沿いの池田人さんも私の先輩ですね!
C級呑兵衛も、能勢街道沿いの池田人さんが普段歩かれている道沿いに住んでいますよ。既にお目にかかっているかもしれませんね。
こちらこそ、これからもよろしくお願いします!
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私が生活場所から阪急石橋駅まで歩く道は、井口堂バス車庫を経て国道176号線まではほとんど(全部と言いたいが歩くときはあるところで近道するから・・)旧能勢街道がしめていますから、C級さんも、能勢街道沿いの池田人、ということですね。
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能勢街道沿いの池田人さん、こんにちは!
返信遅くなりました。
そうですね、完全な旧能勢街道沿いに住む池田人になります。
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