蛍池に続いて、今回は「石橋」バージョンとして地名の由来を紐解いてみる。
というのはね、蛍池の続きもので考えていたわけでなくて、
実は、普段よく通る石橋商店街&赤い橋の部分で、つい最近気付いたことがあったのだ。
ブログへ書こうと条件を揃えるのに時間がかかったため、蛍池と前後してしまったのだ。
左の写真、少し前に撮っていたんだけど、赤い橋のところにある時計だ。
何度も目にしているが、別に特徴があるわけでもないから全然気にならなかったが、
なんでしょうなあ、たまたまそこに描かれている画に注目してしまったわけ。
川にかかる石橋、石橋の真ん中に丸いくぼみ。
これね、もちろん何も説明が書かれているわけでもないんだけど、分かる人なら分かるんだよね。
石橋の地名の由来が絵で表現されているんだね。石の橋があったんだよ。
で、実際、この「石橋」だといわれのある「石橋」を観に行く。
石橋南小学校、正門右手にある。阪急電車の線路沿いにあるため、電車からでも見える。
旧能勢街道と旧西国街道の交差点、その西側の溝にかかっていた橋だそうな。
明治40年くらいまではかかっていたみたい。地名の由来になるだけの規模とは到底思えないものだが、それは、この一枚岩の中央のくぼみに伝説があるからだ。
日本史を紐解いていただきたい。
文久3(1863)年の「禁門の政変」だ。
尊攘派の三条実美が、攘夷親征の大和行幸を計画したがダメだったんだね。朝廷政変で権力を失ったおかげで、同志公卿6名、長州藩士らと長州に下ることになったわけ。有名な七卿の都落ち。
ここからが物語なんだけど、その道中にこの石橋にさしかかり、静かに祈っていると、明るく光るものがみえ、彼らが立ち去った後、石に馬の足跡が残ったというわけ。
「ふーん・・・んなわけないじゃん!」
これほど人工的にまん丸の穴が空いていてだよ、馬の足跡なわけねーだろ。
もし、百歩譲って馬の足跡が本当だとしたら、今度はこの一枚岩がニセモノだよ。伝説は飽くまで伝説、何でも持ってくりゃいいってもんじゃないよ。
史実を語るのに色んな文献に目を通すが、内容に信憑性がない(自己主義など)ものも結構あるわけ。
伝説を受け継ぐことと史実を語ることとは全く別ものだが、自分の街のことをぼけつっこみしながら知るということは、やっぱり面白いよね。
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